その日は蒸し暑い、薄く霧が立ち込めた七月最後の日の夜───

 

 

「……よしっ」

ジェームズは自分の部屋に篭って、休憩なしでずっと三時間ほど机にへばりついて、熱心に羊皮紙に何か書いていた。

もちろん、彼は夏休みの課題をしていたわけではない。

それはとっくの昔(と、いっても夏休み始まって三日後だが)に終わらせてしまった。

ジェームズはその羊皮紙を自分の目の高さまで上げ、その努力の結晶を見てにやりと笑う。

そう、それは今学期に実行に移そうとしている悪戯の計画書であった。

(我ながら上出来…)

そう心の中で自分を褒めたたえた。

(ここにシリウスがいてくれたらなぁ…)

彼は愛しの相棒がこれを見て自分を褒めたたえているところを想像した。

『すげーっ!!よくこんなのを毎回思いつくよなぁ〜。さっすがジェームズ!』

そしてジェームズ以外の誰にも見せない笑顔を向ける───口では言えないくらい綺麗だ。

 

 

 

ジェームズは羊皮紙を巻き、窓の外を眺める。

(今日は蒸し暑い日だったなぁ…)

昼よりもまして、もあっとした空気が辺りを漂う。

外は薄く霧が立ち込め、夜空には名前がついてるような明るい星しか見えない。

ここには『街灯』というものはないので星が見えない日は真っ暗だった。

ジェームズは机の上にある時計を見る。時刻は十時を過ぎていた。

(そろそろ痺れを切らした母さんが僕に、シャワーに入れと言う頃だな)

また窓の外を見ると、自分の家に続く小道に目がいった。

そこでジェームズは我が目を疑った。何か人らしきものが、自分の家に近付いてきている───デカい荷物を持って。

何度かまばたきをしたり眼鏡を取ったり付けたりしたが、その人影がだんだん自分の家に近付いてくるだけだった。

ジェームズはその場に氷づけにされたかのように窓際に突っ立って、その人影を見つめていた。

もちろん、その間に母親が「ジェームズ!早くシャワーに入ってちょうだい!」と言ったにも気付かなかった。

人影はさらに家に近付いてくる。

(まさか───)

そこでジェームズは弾かれたように部屋を飛び出し、嵐のように階段を降りていった。

「あら、いきなりどうしたの?」と言う母の言葉にも耳を傾けず、真っ先に玄関に向かって扉を開けた。

そこには呼び鈴を押そうとして人差し指を立てたまま固まって、こちらを凝視しているシリウスがいた。

シリウスは黒の背広の上下に深緑色の紐タイの格好で、学校用のでっかいトランクが彼の横にあった。

如何にも「僕は育ちの良い良家の息子で、今家出中です」と語っている。

それでこの美貌なんだから、さぞここまで来るのに苦労したんだな、とジェームズは心の片隅で思った。

扉を開けてから何も言わず黙って見つめるジェームズに、シリウスは口を開いた。

「…俺、まだ呼び鈴押してないよ…?」

「………」

「…ジェームズ?」

ダンマリのジェームズにシリウスは不安になった。

(やっぱり何も連絡しないで突然来たのは迷惑だったか…)

しかし、彼が家を出た時にそんなこと考えている余裕はなかった。兎に角、ジェームズの家に行こうという思いだけだった。

だが、今となって冷静に考えてみると、かなりずうずうしい考えだとシリウスは思った───

ジェームズがそれを望まなかったらそれまでだろ───?

 

「───うして」

「え?」

 

ジェームズはシリウスから目を放さないまま口を開いた。

「どうして一人で来たの!?しかもこんな暗い夜にっ!!誰かに襲われたかもしれないのにっ…!!」

そう言ってジェームズは放心状態のシリウスを抱き締め、頭を彼の首の付け根に埋めた。

何が起きたかわからないシリウスも、ジェームズが自分の身を案じてくれたとわかるとほっとして、彼の背中に腕を回しぽんぽんと軽く叩いた。

「ほら、俺は何事も無く無事に生きてここに辿り着いたんだから、いい加減放せよ」

ジェームズの癖のある髪が首筋に当たってくすぐったいということは敢えて言わなかった。

ジェームズは名残惜しそうにシリウスを解放し、そこで彼は顔をしかめた。

「そういえば、何で君がここに?───その横のトランクから大体予想はつくけど」

「普通、それが第一声じゃないか?」

シリウスは苦笑混じりに答えた。

「ジェームズの思っている通り、俺は家出してきた」

シリウスはそう言った後、何故か寂しい気持ちになった。自分が本当にあの家を抜け出したのかと思った。

数え切れないほど望んできたことなのに何故そう思ったのかはわからなかった。

「そう…」

ジェームズまでもが、シリウスと同じような寂しさを抱いた。しかし、彼はがらりと表情を眩しい笑顔へと変えた。

「じゃあ、今日からシリウスは僕らの家族だね♪」

「別に…俺は成人するまでここに泊めてさせてもらいたいと思っただけだから…そんな、家族だなんて…」

「あら、私はあなたを息子同然に思ってるわ」

にこやかにジェームズの母がキッチンから現れた。

「!初めまして、シリウス・ブラックです。この度はお世話になります」

そう言ってシリウスは人当たりの良さそうな笑みを浮かべた。

女の子が見たら誰でも(もちろん男だって)見惚れてしまう笑顔なのに、それを

「うちのジェームズと違って礼儀正しくていいわぁ。こちらこそよろしくね、シリウス」

と言って微笑み返せる自分の母親の態度にジェームズは目を丸くした。

 

「さぁ、シリウス、中に入って。夕ご飯はまだ?ジェームズ、あなたは早くシャワーに入りなさい。

 シリウス、あなたもシャワーに入る?」

「お…僕も入ります。今日は蒸し暑くて汗をかいたものですから…」

「確かに今日は蒸し暑かったわね。じゃあジェームズ、シリウスがゆっくりできるように早くしてきなさい」

「別に、僕はご迷惑じゃなければ何時でもかまいません」

シリウスはそう言いながら、ジェームズの母親の死角からしっしとジェームズを追っ払う手つきをした。

「(こいつ、自分がくつろぎたいからって…)

 ほら母さん、シリウスは何時でもいいって言ってるんだから、僕だってのんびりする権利はあるよ」

「あなたはもう十分のんびりしたでしょう?夕ご飯食べたっきり自分の部屋に閉じこもって何していたんだか…」

「宿題だよ」

「どうだか」

シリウスはにやにやしながら二人の会話を聞いていた。

シリウスにはもちろん、ジェームズが悪戯の計画書を作っていたことに気がついた。

「さっ、こっちに来てシリウス。今日のご飯はミートボールスパゲッティだったの。ジェームズは早く入るのよ…」

 

 

ジェームズの母はシリウスを従えてダイニングルームへと向かった。その二人の後ろ姿を恨めしくジェームズは睨んだ。

ジェームズの母が奥に入っていったとき、シリウスが振り向いた。

なんだ、まだ僕に嫌味を言うつもりか、とジェームズは思った。

 

「ありがとう…家族として受け入れてくれて」

 

シリウスは少し照れながら、あのジェームズにしか見せない笑顔を向けた。

そして照れ隠しのように、シリウスは足早にダイニングルームへと向かった。

ジェームズは、先ほど自分の母と言い争ったことや、シリウスに追っ払う手つきをされたことすべてを忘れて、その笑顔に見惚れていた。

ジェームズは珍しく顔が赤くなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「反則だ…あいつの笑顔は…」

やっと口が開けるようになった頃、ダイニングルームからシリウスとジェームズの母親の笑い声が聞こえてきた。

 


シリウス家出話パート1。

06/07/31〜06/12/01掲載。

06/12/02