『失敗は、ある意味では成功に向かう本道である』 キーツ

 

 

まだ五月始めだというのに真昼の太陽はじりじりと照り付けている。

「おっかしいなぁ…」

僕は首筋を伝う汗を拭った。

 

 

 

* * *

 

 

 

昼前に部活が終わり、汗だくの身体をシャワーで洗い流し制服に着替え、僕は部活仲間とホグワーツ学園の門を出た。

小腹が空いていたので、ピーターがオススメしていた『ベーガ・ベーカリー』のメロンパンを買おうと思い、そこで彼らと別れた。

『ベーガ・ベーカリー』はホグワーツ学園から一番大きい駅に向かって徒歩五分で行けると聞いていたので、

いつも乗り降りする駅には寄らず、そこまで歩いて行くことにした。

しかし、十分以上歩いてもそれらしきものは見えない。

駅に向かうほど背の高いビルやホテルが見えてくるはずなのに、自分の周辺は立派な住宅地ばかりだ。

住所を示す看板がないので自分が今どの辺にいるかもわからない

(わかったとしても、僕はこの辺りの地理は全くと言っていいほどわからないので意味がない)。

 

そうして今に至る。

 

 

 

 

(これってもしや─── 迷子?)

そう気付いた時は既に手遅れだった。後ろを振り返っても目印になるようなものはなく、後も引き返せない。

(人に聞くしかないかぁ…)

仕様がないので、人に出くわすまでこの辺りを歩くことにした。

僕は周りの家々を眺めながらきれいに舗装された歩道を歩いた。

この辺りは立派な家が多く、自分の町にある一番大きな地主の家が小さく見えるくらいだ。

(所謂、高級住宅街か…)

ピカピカに磨き上げられた鏡のような窓ガラスは真昼の太陽の光を受け、眩しく輝いていた。

その時だった。

 

「ワンっ!」

「ギャっ!?」

 

突然現れた小山のような大きな黒犬が自分の右足に噛み付いてきたのだ。

僕は何がなんだか訳がわからず、取り敢えず自分の足から犬を引き離そうとした。が、犬はびくともしない。

犬はふさふさの尻尾を振って僕にじゃれているつもりのようだが、こちらとしては痛いのやら恐いのやらでそれ所ではない。

最後の手段を使おうとすると、人の声がした。

 

「チョコーっ!!何処にいるのーっ!?」

 

声からして随分幼い感じだった。しかし、よく透る声だった。

チョコであろう黒犬がぴくりと片耳を動かしたが、僕の足を依然噛んだままだった。

犬の持ち主は曲がり角から小走りでやって来た。

背丈は僕の顎くらいまでしかなく、如何にも育ちの良さげで小柄な少年だった。

顔立ちも可愛らしく、将来はそれはそれは格好良くなるだろう。

彼はサラサラの黒髪を靡かせて僕に駆け寄って来た。

未だに足に噛み付いている犬を引きはがし、素早く犬の首にある赤い首輪にリードを付けた。

それを終えると彼は立ち上がって僕を見た。僕は一瞬、何か違和感のようなものを感じた。

「お怪我はありませんか?」

彼は心配そうに眉をハの字に曲げる。

「大丈夫だよ」

僕は咄嗟に嘘を吐いた。今ので右足は二つの赤い痕ができているに違いない。

「良かった」

彼はやんわりと微笑む。

(どっかで見たことあるようなないような顔だなぁ…)

失礼のないよう、こっそり彼を観察した。

透き通るような白い肌は、先程走った為か頬はピンク色に染まっている。

愛らしい目元を縁取る長い睫毛。薄灰色の瞳。

(誰かと似ているような…)

僕はお腹が空いていることに気付き、本来の目的を思い出し、少年に尋ねた。

 

「突然だけど、『ベーガ・ベーカリー』って何処にあるの?」

それを聞いて少年は一瞬きょとんとし、くすくす笑い出した。

「そのパン屋はホグワーツの北に位置しいて、ここはホグワーツの南ですよ」

僕は顔が熱くなった───どうやら正反対の方角に進んで行ってたようだ!

「この住宅街は複雑なので、ここを出た所まで案内しましょうか?」

「そうしてくれると助かるよ」

僕は素直に少年の好意に甘えた。

 

 

 

二人と一匹は広い歩道を並んで歩いた。チョコは主人を少し引っ張り気味にして前を歩く。

「どうして黒犬なのにチョコって名前なの?」

僕はこの犬に出会ってからずっと疑問に思っていたことを尋ねた。

「僕の兄が嫌いなんです、チョコレート」

だからそう名付けたんです、と彼はにっこり笑ってそう言った───この子の兄にはなりたくないな…。

すると突然チョコが飛び出し、少年はリードを離してしまった。

「チョコっ!」

主人が名前を叫んでも犬は振り向きもせず、脱兎の勢いで角を左へと曲がった。僕と少年は急いでその後を追う。

角を曲がろうとした時、ぬっと人が現れた─── チョコのリードを持って。

「シリウスっ!」

先に彼の名前を呼んだのは少年だった。

シリウスは華美でもなく地味でもない、だけどセンスの良さが伝わってくるようなスタイルだった。

「レグルス、またリードを離したのか。今度やったらもう君にはリードを持たせないよ」

口調はどこか優しくシリウスは言った。彼は僕に目をやり、驚いて大きな目を更に見開いた。

「ポッター…何でここに?」

レグルスはそれを聞き、ぱっとシリウスから僕に目を移した。

「まぁそれには色々あって…」

「この人、『ベーガ・ベーカリー』に行こうとしてここまで来ちゃったんだよ」

レグルスはからかうような、楽しげにそう言った。

それを聞いたシリウスは、先程自分の弟がしたように一瞬きょとんとし、おかしそうに笑った。

「君は方向音痴だったのか!」

「そのようだよ…」

顔が熱くなり、オマケにお腹の音が鳴り、更にブラック兄弟の笑いを誘ってしまった。

「良かったら家に来ないか?ベーガの店ほどおいしいパンはないけど、腹の足しにはなるよ」

「ホント?」

「嘘言ってどうすんだよ」

 

そういう訳で、僕は誰も知らない彼の家に急遽招待されたのだった。

 

 

07/02/10掲載

08/03/16